忘れないで、「アララガマ」
「アララガマ精神」とか、「アララガマ魂」とか。
なんだかこの「アララガマ」という言葉が、あまりにも美化されているような気がします。
特に、よその島の人に説明する時は、言葉の背景を説明することなく単純に「アララガマ精神=不屈の精神」とのみ教えがちです。
そういうと、とても格好良く聞こえるから、いつも心配になります。
もとは、あまり良い言葉ではないのです。決して軽々しくは、言って欲しくない言葉です。
だから、自戒の意味も含めて、ここに書きます。
敵をつくってしまうかも知れませんが、覚悟の上です。
ご気分を害される方がいらっしゃるかも知れません。先にお詫び申し上げます。
「アララ」という感嘆詞
例によってこれも複合語です。「アララ」+「ガマ」で「アララガマ」。
それで、まずは「アララ」という感嘆詞を普段どういう時に発するか、ご紹介します。
1. 汚い
異臭を放つ雑巾、管理されていない公衆トイレ、視界に入った酔っぱらいの体内合成物、等々。「アララーィ」と、語尾を伸ばして、最後を「イ」に跳ねることもある。
空から鳥の糞が降ってきた日には、「急激な驚き」の部類ですから、早口で。スペイン人もびっくりの巻き舌で、「アララッ!」と。
2. くだらない・つまらない
友達のギャグがつまらない。くだらない。オヤジギャグ~。というときに、冷ややか~な目線で低~い声でゆっくりと「アララ~」もしくは「アララ~イ」。
こっちの語尾の「イ」は、先の例よりもややはっきりと聞こえる気がする。
3. 期待したほどでない
例えばこんな会話例でどうでしょう。
釣りに行っていたAさんが帰ってきました。BさんがAさんに声をかけます。
B 「大きいの、連れたかー?」
A 「おー、コンバカー(これぐらい)の、ダイバンもの!」
これぐらい、とAさんは両手を広げるジェスチャーをしてみせます。そこで、
B 「ンジ(どれ)、ミシミール(見せてみろ)」
ここでAさんは、実物を披露。
が、実寸は30センチぐらいでした!
それを見たBさんは、きっと言うでしょう。
B 「…アララっ。イミーイミ(ちっちゃ~)」
まあ、そんな感じの言葉です。
接尾辞「ガマ」、意味の裏
「~ガマ」は、沖縄本島で言う「~グヮー」に相当。
ちいさきもの、かわいいもの。
通常は、そんな名詞(代名詞や人名も含む)のあとについて、人や物に愛情をかける接尾辞です。「カナシャガマ(愛しき人、子)」「鳥ガマ[tuïz - gama](小鳥さん)」「ピィッチャガマ(ほんのちょっと「だけ」)」「茶がま、飲み~[tsa:gama: numi:](ちょっとお茶でも飲んでいきなさいよ)」…。
ちいさきもの、かわいいもの。
ところがそれを悪い意味に返せば、「大したことのないもの」。上位者から下位のものを見くだすようなニュアンス。
悪い言葉に付くときは、そういう意味になるのです。
例えば前出の「ピィッチャガマ」も、発する状況によっては「これだけしかくれないの、ケチ!!」というような感じになる。
日常会話の中で、「アララガマ」が使われる場合
思い出せる一番近い例は…。
数年前、祖母とふたりで昼食を取っていたときのこと。
祖母が箸で、小皿から茶碗におかずを移していたその途中で、ダダ(擬態語)とこぼしてしまったのです。
そのとき、テーブルの上に落ちた食べ物を拾いながら※、祖母が発した言葉が「アララガマ」でした。
「いやだねぇ、年を取るとこんな風にこぼすようになっちゃって。」
きっとそんな気持ちで言ったのだと思います。歳をとって体力の落ちた自分への愚痴として。
※余談ですが、「おいしいものにはゴミはつかない」という昔からの思想に従って、祖母は、こぼしてしまったものでもちゃんと食べます。食べ物が自由に手に入らなかった時代の言い習わしですが、今も島内には根強く残っています。衛生状況なんのその。
「アララガマ」という対象は
では、「不屈の精神」と代替される場合、これは何に向けて発された言葉なのか。
「不屈」と言い換えられるにはもちろん、それなりの意志があるのです。
まず、困難をつくった対象(相手)に向かっては言わない。例えば「なんだこの課題、誰だこんなのつくったやつ」。それだと相手に文句を言うだけで、何も変わらない。進展なしです。むしろ仲は悪くなるでしょう。
では、自分に対して言うのはどうかというと、いい場合と悪い場合の2通りがある。
「まさか、私こんなこともできないの?」いや、できないわけない。やってやる。そう言う意味でならば自分に対しても言って良いと思います。
でもうしろ向きになってしまって、「自分ってこの程度の人間なんだ」と蔑むように言ってしまっては、困難の壁をますます厚塗りにするようなもので、逆効果。前出の、歳をとってしまったことを愚痴る祖母の例も、可哀想だけれどこの一類。
そして、なにより言うべき対象は、「困難」そのものに対してではないでしょうか。どんなに高い壁でも、「なんだこれぐらい、自分にとっては大したことない、超えられるさ」。そう言い聞かせて、立ち向かう力にすること。
そうやって、人頭税や、幾度の飢饉や災害といった、歴史上の数え切れない災禍、「島」である故の不便さなど、多くの困難を乗り越えてきた先人達の姿勢をいま、「アララガマ精神」と呼んでいるのです。「アララガマ」という語と「精神」という語の間には、たくさんの言葉が略されているのでしょう。どなたが最初に言い始めた言葉か、今は調べるすべがありませんが、動作が見えるような、この島の言葉で表したかったのだと思います。
「困難」という、目に見えない、抽象的な概念に対して言葉をかける。
なんだかとても不思議な行為に感じます。
但しその言葉は、相手を否定する語です。蔑む言葉です。
だから逆に、具体のもの、特に命のあるものに対しては言わない。決して言ってはいけない。
時々、使われ方に違和感を感じます。
自分でも、言ってしまってから、ああ、と反省することも良くあります。
「きついけどがんばろーねー♪」なんてレベルで、言っていいものではない。
もっともっと、精神の深いところの葛藤があるような気がする。
でなければ、たとえ抽象のものに対してであっても、むやみやたらに罵倒の語を浴びせるものだろうか、と。
だからどうか、忘れないでいて下さい。
この言葉に込められたものが、重さを失ってしまわないように。
参考文献・資料等なし
…こんなことを書いてしまった以上、何よりこのブログが「アララ~イ」といわれる対象とならないよう、がんばろう。この記事へのコメント
昨日・一昨日はどうも~☆楽しませていただいて。
うん、意味が広いね、宮古の感嘆詞。
感嘆詞だから特定の意味を持たない、という方が正しいのかも知れない。
良い方にも悪い方にも…<(@_@)>。表裏一体というかなんというか。
さっそく勉強になります、このブログ。
ところで自分口癖でよく言います ・・「ありゃりゃ~」
先日はどうも~。ありがとうございました。
「ありゃりゃ~」は、字面は似ているけれど、宮古の「アララ」と違って、なんだかとっても優しい感じです。
宮古の「アララ」は語尾上がりです。なんか、こう、眉間に皺を寄せるような、可愛くない感じです(泣)。
ガッツリ系の発音ばっかりだー、宮古口。
可愛い方言ないのかな~(*_*)。
うん、宮古の人が使っている、その使い方は今のところ、大丈夫だと思うんだけど、
宮古以外の人に紹介されるときにね…。
雑誌とかイベントとかで伝えられるのを読んだり聞いたりしていると、「不屈の精神」とか「苦難を乗り越える気概」とか、かっこいい言葉だけが並べられていることが多くて、最近心配になるのですよ(まあ誌面のスペースや時間の関係もあるんだろうけど)。
単純に、「ああそうかー、アララガマって言うのは負けず嫌いのことかー」と受け取られてしまうのではないかと。そういう風に、上っ面の方の意味だけ伝わって、いつか、島外の人に「アララガマ」がかっこいい言葉だと思われて乱用されやしないかと、年寄りぎーな心配をしてしまったわけです。
例えば、これもきれいな言葉ではないけれど、
元は「憎む」の意味だった「ミッファ」を、今は(多分私らの世代以降)は「無視する」の意味で使っているでしょう? 意味が軽くなってしまっている。
その言葉の意味の変化を知ったときの、親や祖母の何とも言えなさそうな複雑な表情を思い出すと、ああ、正しい意味を残さないとな、と考えてしまうのです。
そうね。たしかにシシャナとかナバフサリとかみたいに、あからさまにひどい意味ではないけれど。でも、やっぱりねぇ…。
困難に向かうことの大切さを考えたら、多様・乱用は避けたい言葉です。意味を軽くしたくないからね。
長文失礼。
語感的に、そのぐらい気合いこもっていないとダメなんでしょうね。
更竹の病棟時代にね、「あららがまー!」という表現は聞いたことが1度だけあります。おじいがね。その言葉のあと、
なぐりかかってきたの。(んめどー。なおちゃーにゃっだんすが...。)
怖かったけど、何が原因だったのか知りません。
周期的にそうなっちゃうひとで。
でもなんか反省しきりです。
今見るとすごく熱~くなって書いていますね、私。
冷静に見るとけっこうきついな。ごめんね。
これも宮古の血なのか。むむむ。
気合いですね、発するときは、確かに。
おじいの「アララガマ」はきっと、おじいの必殺技の名前だったのです。
(やや年輩の)お父様方が、(PTAなどの)バレーボールの試合でアタックをかますときに発す、という有名な話があり。
きっとそれは、
ドラゴンボールの「カメハメ波ァ!」のような、
聖闘士星矢の「ペガサス流星拳~!!」みたいな(古)。
ピカチュウが10万ボルト出すときに「ぴ~か~ちゅ~!!!」というような(ごめんなさい)
そんな感じです。
例外用法、になるでしょうか。
ああ、でももちろん、決して相手に向かっていっているのではありませんよ。
自分に気合いを込めるために言っているのです。
…多分。自信なくなってきた…。
わたくしカンと申します。
いつも宮古方言べんきょうさせてもらっとりますです。
でも、"あららがま”のところは見逃してて、
本日、発見しました!
いろいろ気づきもあって興味深かったです。
コメントどうもありがとうございます。
実を言うと、カンさん、この記事を出すときに、
敵に回してしまうかも知れないと思ったうちのひとりでした。
さっき、カンさんのブログ拝読しました。
もしかしてこの記事のせいで書いたのかなあと心配になりつつ。
カンさんの、この言葉への解釈は間違ってない。
私って疑り深い性格なんだな~、と反省しました。
ごめんなさい、そして、ありがとうございます。
そうなんですよね。簡単に軽々しく言ってはならぬ。
私も心からそう思います。
だからこそ、これから始まる仕事の波に乗る前に
気合いを込めて「あららがま!!」
みなさん「ワイドー!」の応援をお願いします。
負けないって何だろう。
玉石と玉石がぶつかり合って、砕かれないことが負けないってこと?
それはただ勝つことじゃないか。
アララガマってそんな安っぽい響きiじゃない気がする。
勝ちも負けも飲み込む精神なのではないか。
それが本来、精神というものなのだ。
そこにすでに、形而上の地平が拓かれている。
ガマって言葉を口にするとき、
きっと私は精神なのだ。
「あらら〜ぃ」って言うよね。
こういうちゃんとベースを知っておくことも大切だね。一つの言葉でも、ニュアンスによっても色々な意味がある(ex.アガイタンディ)からね。深いのぉ、宮古フツ。
私としては、こういう事も教えて欲しい^^☆