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英語の指さし歌
ブログをご覧くださっているみなさま、たいへんご無沙汰しております。 久しぶりに描くことを思いついたので更新です。
まずはこの動画をごらんください。
この歌、以前テレビでだれか(芸能人)が歌っていたのを断片的に見て、体の部位を指さしながら歌うのが印象的で、何となく憶えていたのです。
それを最近突然思いだし、そして思いつきました。これ、宮古方言でやったら、おもっし ぱず~(おもしろいだろうな~)、と。
上の映像は、Googleで“knees and toes”で検索したら出てきたものです。おそらくアメリカかイギリスの番組だと思います。タイトルはそのまま、“Head, Shoulders, Knees and Toes”でした。頭、肩、ひざそしてつま先!
まずはこの歌の歌詞を。
(英語版WikipediaのHead, Shoulders, Knees and Toesの項に記載の歌詞を引用します)
Head, shoulders, knees and toes, knees and toes
Head, shoulders, knees and toes, knees and toes
And eyes and ears and mouse and nose,
Head, shoulders, knees and toes, knees and toes※1番の歌詞のみ
3行目以外はおなじ歌詞ですね。よし、宮古口にしてみます(平良方言)。
♪かなます゜、かた、つぐす と ぴさ、つぐす と ぴさ
かなます゜、かた、つぐす と ぴさ、つぐす と ぴさ
あしてぃ、みぃ~ と みん と ふつ と ぱな
かなます゜、かた、つぐす と ぴさ、つぐす と ぴさ
うむむ、ちょっとリズム感がわるいか~?とくにひざとつま先は。16分音符ぐらいででだだだだーっと。
一応、単語解説でも。
- かなます゜[kanamazˌ]=head(頭)
- かた[kḁta]=shoulder(肩)
- つぐす[tsugusɨ̥]=knee(ひざ)
- ぴさ[pɨ̥sa]=toe(つまさき)
- みぃ~[miː]=eye(目)
- みム[mimˌ]=ear(耳)
- ふつ[fˌtsi]=mouse(口)
- ぱな[pana]=nose(鼻)
Wikiみると2番以降も歌詞があるのですが、それはあとで時間をかけてゆっくりやろうかと。
だれかがこれを宮古口で歌って踊ってくれないかな。体の部分を表す方言だけでなく、いろんなカテゴリの方言を、指さしとか振りをつけて、単純めのメロディーで音楽にすると、子どもはよろこんで覚えてくれるのでは。単なる私の妄想ですが。そうですね、たとえば、宮古方言ラジオ体操の あんがたー(お姉様方)がやってくださると楽しそう。
年末に宮古の小中学生の9割が方言を使わない・使えないという調査結果が出たというニュースなども見たりして、どうにか、子どもが方言に興味を持ってくれる入り口みたいなものがないかな、とちょっと考えておりました。方言を知ること・使うことは、高校に上がったときの古典の授業とか、大人になってから今使っている日本語をより深く知るきっかけになったりとか、メリットはあると思うのです。
でも現実に、子どもが口承伝承でしぜんに方言を覚えられる、というような環境は、もはやあまり残っていないのではないでしょうか。
現在30代の私もほとんど話せないので、いま未成年の子を持つ親たちの世代も、もしかしたら同じような方が多いのでは、と思います。
なんつて。数行ほどまじめに語りましたが、ようは楽しい方が覚えやすいよね!と思うのです。高校時代、新品ボールペンのインクがなくなるまで英単語を紙に書き殴っても、何一つ身にならなかった私としては(実話)。
方言研究のこと、ブログのこと、これからのこと
宮古の方言について調べ始めてから、いつの間にか10年あまりの月日が流れているということに、最近気がつきました。初めて買った言語学雑誌の発行年が2002年。当時、沖縄の日本復帰30年ということで沖縄方言の特集が組まれていたものでした。確かその翌年に、バックナンバーで入手したのだと記憶していますが…。
そして、このブログを始めたのが2006年なので、これもまた8年目になります。
宮古の方言について検索すると、思いがけずこの「あっがいたんでぃ!」の記事が検索上位に出てくることが多く、そのたびに複雑な気持ちにります。喜ぶべきか、嘆くべきか。
何しろ、わたしはまったくもって、言語学の専門家ではないのです。書店で手に入る言語学の本や、インターネット上を検索して手に入れられる、宮古方言に関する短い論文をいくつか読んで、それを参考にしながら方言に対する自分なりの謎解きをしているのが、このブログです。
ここにアップする記事をつくる際には、日常生活の合間に手元に入れられる限りの資料、調べられる限りのウェブサイトの情報をすりあわせ、整理し、考えながら文章を書いています。それゆえ、時間とエネルギーを浪費するわりに、きちんと結論を出せていない記事も多くあります(というか、ほとんどがまとまっていない)。
見つけ次第修正するようにはしているものの、すべての記事に対してきちんと見直しができているわけではありません。初期の頃の記事はとくに、文章を書き慣れていない頃だから、あまりのぎこちなさに直視できず、検証は疎かです。それこそ怪しい部分なのに。それが検索結果の上位に表示されると、本当に申し訳ない気持ちになります。
それだけ、宮古の方言に関する他の情報源が少ない、ということの現れでもあるかもしれません。しかしそれに反して、宮古方言に興味を持つ人は多い、あるいは増えているのではないかと思います。
2000年代に入ってから、宮古ふつメールマガジン「くまから・かまから」が発行されるようになり(2001年~)、2002年には宮古のカルチャー本『読めば宮古』が刊行、数年後に続編の『書けば宮古』、また、方言で歌う下地勇さんのメジャーデビュー。島内の道路沿いには方言で書かれた交通標語が増えたり、宮古テレビでの冴子おばぁの活躍したり。さらに昨今は、宮古方言ラジオ体操、宮古方言スピードラーニング、といったおみやげDVDまで出てきました。こんなに宮古方言がもりあがる日が来るとは、90年代には考えもしなかったこと。
ならば、より正確な知識をきちんと教えられる本やウェブサイトが必要なのではないか、と思います。私という非専門家の記したブログが頼られてしまっていて良いのか。私の書いたことは、きちんとした学術機関で専門的に学び研究・調査している方々が見たら眉をしかめるような内容ではないか。そう考えては、いつもビクビクしています。
いま、私はまだ勉強中の身です。仕事と日常生活に飲み込まれながら、細々と続けています。
このブログを通してありがたい出会いがあり、新里教室(宮古方言研究会)で月に一度、宮古方言を言語学の視点から解説してくださる師匠・新里博先生の元で学ぶようになってから、もう6年半以上が経ちました。言語学についても宮古方言についても、独学では理解しきれなかった部分をきちんと整理し解説していただいています。新里先生から学んだことを、私はちゃんと記事に生かせているのか、私が書くことの不正確さのために先生の研究成果の信憑性まで落としてしまっていないか。これまたビクビクしながら書いています。
このブログを読んで下さっているみなさま。昨今は、こんな理由でブログの更新を滞らせておりました。ウェブという、世界中から誰もが見られる場所へ載せる文章に、私はどこまで責任を持てるだろう、と日々考えています。
このブログの運用自体を続けるべきかどうか、何度も悩みました。
それでも、宮古方言に関して自分なりに考えること、伝えたいことがまだまだあり、続けています。1人でも多くの人が宮古の方言に興味を持ってくれたら。ちゃんと研究したい、と思う若い人が出てきてくれたら。私のブログは、検索結果ではなく、その次へつながるきっかけであってほしいと願っています。
私の夢は、昔うちの祖母たちがやっていたように、私も歳をとったら、じじばば仲間であつまって、方言で昼中おしゃべりして過ごすこと。宮古方言に関しては実は、研究者になりたいというより、一生の話し手となりたい、というのが本音です。だから、方言での話し相手もたくさん増えてほしい。そのために宮古方言を研究し、継承し広めてゆける仕組みを作りたい。そういうふうに、考えています。
さしあたって、私がこれからやりたいことは、メジャーな学術機関(島外出身の研究者が多い)で宮古方言に関して一般的にいわれていることと、新里先生の論(宮古出身者としての研究)との間にある溝を埋めること(もちろん、私の立場は新里先生寄りです)。
宮古方言の下位分類、オ段音のこと、動詞の終止形のこと…等々。どのようなものの見方をして、そう解釈されたのか。
きっとまた日常生活に飲み込まれながら、時々なにかのはずみで発起して記事を更新する、ということをこれからも繰り返していくのだと思います。最低でも年に2回ぐらいはブログを更新できるように頑張ります。その間ももちろん、ちゃんと勉強し続けていきます。
新しい記事を更新するたびに、自信を持てるように。より信頼してもらえるように。
Motoca
方向の感覚
みなさま、お久しぶりでございます。なんと前回の更新から2年近くが経過してしまいました。その間、いくつかの記事にコメントもいただいていたのですが、お返事もせずに申し訳ありません。
6年前に書いた旧盆の記事を手直しするために、かなり久しぶりにてぃーだブログにログインしたところ、書きかけでもうちょっとでアップできそうな記事を見つけました。で、イキオイでこれも手直ししてアップしてしまおうと決心した次第です。
さて私、地図を片手に持ちながら、目的地と逆方向に(自信満々で)直進するのが特技の大方向音痴でございます。現在位置を示してくれる、スマホの地図でもダメ。
さて、そのわたくしが! 方向・方角についての表現について挑んでみました。大丈夫かしら。
東西南北
まずは、各方位を表す方言からご紹介します。
1. 東と西
- 東: /agazˌ/ アガス゜
- 西: /yizˌ/ イス゜
太陽は、東から昇り、西へ沈む。そんなわけで、「東」は「アガリ(上がり)」、「西」は「イリ(入り)」と呼んでいるのでございます。
そういえば、天体は「昇る/沈む」だけではなく「上がる/入る(イル)」という表現を聞きます。
暦に書かれている「日の出/日の入り(の時刻)」もそうですし、「イル」の方は、「菜の花畑に 入り日うすれ 見渡す山の 霞深し」っていう歌詞がありますね(朧月夜)。
宮古方言には、日没する太陽のことを「ユクウ ティダ(憩う太陽)」という表現もあります。この表現、とてもほんわかとしていて、大好きです。
2. 北と南
- 北: /nis/ ニス
- 南: /pai/ パイ
共通語では west がニシですが、沖縄方言では north がニシです。
「にし」の語源は「去(い)にし」だといいます。
右と左のお隣さん
いつもながら、前置きが長くてすみません。書きたかったのは、実は、ここから先のことでございます。
宮古方言で、自宅の東側にある家はアガンニャー[aga n nja:]といいます。西隣の家はイーンニャー[iz n nja:]です。
- 東側:
アガンニャー /aganˌnjaː/(=東の家): 東[agazˌ] + ノ[nʊ](助詞「の」) + ヤー[ja:](家) - 西側:
イーンニャー /yizˌnˌnjaː/(=西の家): 西[yizˌ] + ノ[nʊ](助詞「の」) + ヤー[ja:](家)
私の実家のある通りは、ほぼ東西方向に伸びています。実家はそのうちの北寄りの並びにあります。つまり、道路に面する門は、南向きです。同じ並びの左右の隣は、東側か、西側に当たることになります。
うちの場合、同じ通りにあってうちより東にあるお宅はみな「アガンニャー」なのですが、「アガンニャーの○○(名字もしくは呼び名、屋号など)」といわず、単に「アガンニャー」とだけ使うときは、うちから数件隣にある親戚宅を指していました。だから「アガンニャー」っていうのはその親戚宅の屋号だと、長いこと思っていました。違ったのねん。
しかし「イーンニャー」という言葉には、私はなじみがありません。たぶん、西隣には長いこと隣接する家がなかったせいだと思います(空き家>空き地>月極駐車場>再び空き地…と変遷)。でも、もしかしたら私ら子供世代が使っていなかっただけで、親や祖母たちは使っていたのかもしれませんね。
前と後ろのご近所さま
東西方向のお隣が、「アガンニャー」と「イーンニャー」。たまたまうちの実家が都合良く東西方向の通りにあったので、その概念は昔から違和感なく受け入れられるのですが、ではお隣さんが南側や北側にある場合はどういうのでしょうか。
パイヌヤー[paji nʊ jaː](南の家)、ニスヌヤー[nisɨ nʊ jaː](北の家)という表現は、聞いたことがありません。答えは、次の通り。
- 南側:
マイパラヤー /majiparajaː/(=前方面の家): 前[maji] + 原[para] + ヤー[jaː](家) - 北側:
シバラヤー /ʃibarajaː/(=後ろ方面の家): 後ろ[ʃˌʃi] + 原[para](連濁) + ヤー[jaː](家)
ああ、マイパラヤーとシバラヤーなら聞いたことがある! でも、なんというか、意外です。
それぞれ、言葉の通りに向かいの家(=マイパラヤー)・裏の家(=シバラヤー)と訳されることもあります。しかし実は、「前」=「南」、「後ろ」=「北」というもともとの概念があり、その上でこの表現があるとのこと。家の位置に限らず、南北の方向を指し示す語として前・後ろが使われていたようなのです。
「マイバラ」の「マイ[maji]」は「前」の意味です。パラは「原」つまりその場所を示します。
「シバラ」の「シ[ʃi]」は古語で後方を示す「くし」が変化したもの(kuʃi>ʃˌʃi>ʃi)。
私が参加している宮古方言研究会(通称:新里教室)で、新里先生がこれまでに何度か、方向・方角に関する話をしてくださった中に出てきました。私たちの祖先が北方から渡ってきたため、進行方向(=南)を「前」、その反対側(=北)を「後ろ」というのではないか、とのことです。
前[majipara]と後ろ[ʃˌʃibara]は絶対方向
ところで、先述の通りうちの実家の前の道は東西方向にあり、家の南側が通りに面しているので、そのままお向かいの家が「前」、家の裏側にある家が「後ろ」という感覚を違和感なく受け入れることができます。しかしお向かいの家から見たら、道を隔てて向かい合っている我が家が「シバラヤー」、後ろになってしまうのかしら。道が南北方向にあるところのお宅は、左右のお宅が「マイパラヤー」「シバラヤー」で、お向かいや裏のお宅が「アガンニャー」「イーンニャー」になるのかしら。
…というのが私の中で長年の疑問点でしたが、どうやらその通りらしい。道の通っている方向や家の方向に関係なく、自分の家から見て南側は「前」、北の方は「後ろ」になるとのこと。ちなみに東西方向を左右で表すこともあるのだとか。
方向を前・後ろでいうときは、体の向きによる相対的なものではなく、南を基準とした絶対方向なのですね。
さいごに
この記事のために作った画像の保存日時を見たら、2008年5月、となっておりました。画像中のこけしのような人物の髪型は、確か私の当時の髪型です。
その頃に書きかけて、その年の年末にに少し手直しをしたような形跡があって、そのまま…なんと、4年以上放置。4年越しの記事アップでございます。自分の だる~(なまけもの)さ加減に呆れます。でも、その4年間のうちに解けた疑問もあったから、アップする気になった、ということで(ごまかしておわる)。次の更新もおそらく不定です。ごめんなさいm(_ _;)m。書きかけで保存されている記事も、実はまだいくつかあるのですが…。
「宮古島の神歌と古謡2010」 応援企画! #3
おはようございます。
昨日は東京もびっくりするぐらい気温が上がりました。私が上京してからすでに干支も一回りしていますが、記憶にある限り、ここが12月に24℃なんて初めてです。のぼせました。
そういえば、宮古でもこの時期、下がりかけていた気温が一気に上がり、夏が戻ってきたようになることがあります。例年、旧暦の10月頃(新暦だとだいたい11月~12月上旬)のことなので、これを「ジュウガツ ナツガマ [dʒuːgatsɨ natsɨgama](=十月夏がま)」というのだと、宮古にいた頃、祖母に教わりました。十月小夏。
さて、昨日の続きを書きます。昨晩には記事を上げたかったのですが、どうも遅くなってしまいました。すみません。
祖神祭(ウヤガン[ʊjagam̩]~ウヤーン[ʊjaːm̩])
宮古島の北部、狩俣と島尻の祭祀として有名です。現在は担い手がいなく途絶えてしまっていると聞きます。
昨日と同様、まずはこの祭祀は何ぞや、ということを『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社,1983)から引用します。
- ウヤガン〔祖神〕
- 宮古諸島の大神島、宮古島の狩俣・島尻両部落の3ヵ所で現在も行われる秘祭。大神島では旧暦6~10月、狩俣・島尻では大神島のウヤガンが終わった後の旧暦10~12月までの3ヵ月間に、5回にわたる夜籠もりを中心として行われる。(中略)いずれも12人のウヤガンという
神女 によって行われる。また日取りは*ピューズヌシュー(日取り主)が決める。(後略)…『沖縄大百科事典』pp.319~320, 沖縄タイムス社, 1983年
あっ、大神島もあったんだ。うわー、すみません。大神、狩俣、島尻の3集落ですね。
もうひとつ文献引用しましょう。
ウヤガン祭りは、祖神が現世に来訪し、ムラの豊穣と繁栄を予祝する祭りで、宮古の大神島、島尻、狩俣で行われている。
(中略)ウヤガンは原則非公開で、夜籠もりはもちろん、集落のお祓いも見てはいけないと言われている。参加者は女性のみで、男たち、家族の者にも一切秘密裏に行われる。…大城宏明「島尻のウヤガン(祖神)」,
「別冊太陽 祭礼~神と人との饗宴~」pp.120, 平凡社, 2006年
あと、狩俣では「ウヤーン」というそうです(おそらく、[ʊjagam̩] > [ʊjaʔam̩] > [ʊjaːm̩]という変化)。
私はこの祭りの存在を大人になってから初めて知ったのですが、非公開とは…そりゃ、他集落の子どもには知る由もありませんね。(その歌を今日、この東京で聴くんだ…)
それでは「ウヤガン」という言葉について見ていきたいと思います。
ウヤ(オヤ=祖)」+「カン(カム̩=神) = 「ウヤガン」
ほとんど「ウヤ」と表記されますが「オヤ(親)」のことです。宮古方言のオ段音が、共通語のオ段音と違いウ段音に近い発音をするため、「ウ」で書かれることが多いのですが、厳密にはウ段とオ段の対立はちゃんとあります(ウ[u]、オ[ʊ])。少なくとももう少し上の世代までは。ですので、ここでは、以下表記を「オヤ」とします。
さて、これまで見聞きしたことをまとめると、「オヤ[ʊja」という語はおもに次のような意味を持っています。
- 祖先
- その土地の支配者
- (士族語で)父親
それに、「カン[kam̩]」つまり「神」がついて「オヤガン」。連濁しています。
祖神、というと集落を作った神様、自分たちのルーツですから、「生みの親である神様」ということになるのだと思います。
ついでに、「神[kam̩]」の発音記号にもご注目ください。「ン」の音が[n̩]ではなく[m̩]ですね。
じつは、池間系をのぞくほとんどの宮古方言では、「ン」の音を[n̩]と[m̩]2種類、区別しています。
この場合、かなで書くと「カン」となるものは2種類あります。「神[kam̩]」と「蟹[kan̩]」です。便宜上[m̩]のほうは今後 /ム̩/ と表記します。
- 神: /カム̩/[kam̩] (< [kami])
- 蟹: /カン/[kan̩] (< [kani])
宮古方言の接続詞は、前につく語の語尾と影響を受けますので、後ろに助詞「は」とか「を」が付くともっとわかりやすい。以下をご覧ください。(しかし、神と蟹を並べて書くとなんだか怒られそうな気がしますね…)
- 神は[kam̩ma], 神を:[kam̩ mʊ]
- 蟹は[kan̩na], 蟹を:[kan̩ nʊ]
(しかし、神と蟹を並べて書くとなんだか怒られそうな気がしますね…)
あとは、海[yim̩]と犬[yin̩]も同様ですね。
ということで、「ウヤガン」を実際の発音に近づくように、なおかつ「ン」の発音の区別を盛り込んでカタカナ表記すると「オヤガム̩(祖神)となります。(…かけ離れたような気も、しなくはない。)
「ウヤガン」の語を解くのに結構長くなってしまいました。
フサ
コンサートのフライヤーによると、このウヤガンの中で唄われる「フサ」というものが披露されるとのこと。「フサ[f̩sa]」といえば方言で「草」のこと、年か思い浮かばない、私。またも文献に頼ります。
- ふさ(フサ)
- (前略)①宮古の歌謡ジャンル名。狩俣と島尻で神女が伝承している神歌。狩俣では「カンフサ(神草)」、または単に「フサ」、島尻では「スサ」という。語義については、フーニガイ(冬祭り・祖神祭)の時、山ごもりをする神女が草冠を被り祖神と化すが、これを象徴的にいったものか。(後略)
新里幸昭『宮古の歌謡付・宮古歌謡語辞典』p.329, 沖縄タイムス社, 2003年
そうか、本当に「草」なんですね。そして、歌のジャンル名。えええっ、ジャンル名!!
さて、ジャンルという話がでたので、同文献に記載の宮古の歌謡の分類表も引用してみます。
新里幸昭『宮古の歌謡付・宮古歌謡語辞典』p.24, 沖縄タイムス社, 2003年
原文は縦書き、横書き図はMotocaが作成。
ひゃ~、こんなにいっぱいあるんですね。私はアーグ、クイチャーアーグ、トーガニぐらいしか知りませんでした。この中でいわゆる「神歌」というのは「呪詞・呪禱的歌謡」という分類になるのでしょうか…。
カンナーギ(神名揚げ)
神歌の中に「カンナーギ アーグ(神名揚げ歌)」というのが出てきます。
カンは既出の通り「神」(/カム̩/[kam̩])、ナーギは「名挙げ(ナーギ)」で、名前を挙げてたたえる、称揚する。人に使うと「褒める」という意味もあるのだと習いました。
ユネーク
多良間からの古謡の紹介にありました、「ユネーク」。困ったことに、情報がほとんどありません。
上に引用した分類一覧にも見あたりませんし、ネットを調べても検索結果に出てくるのは「宮古の神歌と古謡(今日のと、去年の7月に行われた同コンサート)」の関連情報だけ。フライヤー、案内サイトで使われている文言がすべてです。
それにも「叙事詩を元にした労働歌」と書かれるばかりで、それ以上のことは何もわかりません。。
「叙事詩」を国語辞典で引くと「歴史的事件、英雄の事跡、神話などを題材に、民族または国民共同の意識を仮託した長大な韻文」
(goo辞書)
とあります。歴史上の英雄の伝記、史実、伝説などの内容でだということでしょうか。また「労働歌」ですから、農作業や家事などをしながら歌っていた歌、ということでしょうか。(「叙事詩」と見て、アイヌのユーカラを思い浮かべました。宮古から遙か遠いところの文化ですが。)
ユネーク…なんだろう。音からちょっと考えてみます。(多良間に知り合いがいないため、新里教室で習った範囲でしか多良間方言のことは分かりませんが)
宮古方言では前の記事で述べたとおり、歌謡のことを「アヤグ(アヤゴ;[ajagʊ])」または「(アーゴ;[aːgʊ])」といいますが、多良間方言では「エーグ(エーゴ;[ɛːgʊ])」となります。
ということは、ユネークの発音を宮古風に直すと「ユナーク(*[junaːku] または *[jʊnaːkʊ])」となるのだろうか?
では、これが何かしらの複合語だと仮定して、失敗を恐れずに分解を試みてみましょう(間違っていたらごめんなさい!誰か教えて~!)。
*[jʊnaːkʊ] < *[jʊnʊ aːkʊ] < [jʊnʊ aːgʊ] < [jʊː nʊ aːgʊ] ??
ということで、Motoca説、いやMotoca「案」(としておきましょう)です。
「世のアヤグ([jʊː nʊ aːgʊ])」、というのはどうでしょう。
本当に思いつきですので、間違っていたらごめんなさい。さっぱり自信がないのですが…。
「ユー(ヨー)[jʊː]」には「世の中」「現世」そして「時代」という意味があります。これはたしか沖縄全体で共通ですね。有名な「唐の世から大和の世 大和の世からアメリカ世 アメリカ世からまた大和 ひるまさ変わたるこのウチナー」という歌に出てくる「世=ユー」です。
叙事詩ですから、「その時代の歌」と言う意味で「世のアヤグ」案です。
鵜呑みにしないでくださいね、恐る恐る案ですので。会場で意味を教わることができると良いのですが(谷川先生の講演に期待)。
そろそろリミットですね。書くのはこの辺にします。夕方からのコンサートで幾つ答え合わせができるか、楽しみです。(いや、その前に音楽自体も楽しもうと思います、もちろん。)
参考文献一覧は後で書き足します(前回の記事も含めて)。ああ…。
note:
前回の記事の末尾に「語源の特定されていない方言については充て字をしない」と書きましたが、一つ付け加えると、意味の判明している語に対しては元の意味が明確に分かるような表記が望まれます。耳で聞こえる発音だけを頼りに、説明のないカタカナ表記にしてしまうと、宮古方言が日本語とかけ離れた言語のように見えてしまう。
宮古口のオヤ(祖先)が日本古語であるということは、どの研究者も言っているわけですから、やはりそのことが明確に分かるようになっているのが望ましい訳です。
新里先生方式の表記を早く覚えなければ…。
「宮古島の神歌と古謡2010」 応援企画! #2
前記事にも書きましたとおり、「宮古島の神歌と古謡2010」応援企画として、案内サイト、フライヤー、関連サイトなどに出てくる方言や歌の名前について、意味や語源を探ってみようと思います。
歌謡(アヤゴ、またはアーゴ)
アヤグ、とも書かれます。「綾語」「綾言」などと漢字が充てられることもありますが、語源ははっきりしません。宮古方言で「歌」という単語に置き換わって使われます。方言の語彙には「歌」という名詞も「歌う」という動詞もありません。「アヤゴを言う」または「アヤゴする」という表現が「歌を歌う」に相当します
うーん、先に下のユークイのことを書いていたら時間が無くなってしまいました。これの続きは今夜書こうと思います。
ユークイ[juːkui]について
まずは、「ユークイ」とはなんぞや? ということから。沖縄タイムス社刊「沖縄大百科事典」(1993)から引用します。
- ユークイ
- 宮古本島の北部一帯やその周辺の離島でおこなわれている豊年祈願の祭祀。 ユーは豊穣、クイは乞うの意。したがって豊穣を招き寄せることを目的とする祭祀である。
池間系(池間島、平良西原、伊良部島の佐良浜)の行事として有名ですが、他の各集落でも行われています。豊穣祈願なので、ひ農業地帯のうちの周辺にはありませんでした。
さて、この「ユークイ」とは、沖縄大百科事典の記載するとおり「ユー」が「豊穣」、「クイ」が「乞う」とされています。
「ユー[juː]」は、このほかの場面で使われるときは、豊かさ、幸運さみたいなものも意味もあります。「ユームツ[juː m̩tʃɨ]」=「ユーを持つ」という言葉もあって、生まれたばかりの赤ちゃんに「ユームツ フファ[juː m̩tʃɨ f̩fa]」ユーを持つ子供、つまり「めでたいもの、いいものを運んできた(持って生まれてきた)子ども」、というような表現をします。
「クイ[kui]」は動詞「乞ふ(/クー/ [kuː]」連用形の名詞化ですね。
「ハーニーズ」って…
さて、出演者「ハーニーズ佐良浜」は、佐良浜の元神役のおばさま達、5人組。グループ名「ハーニーズ」は、ずっと英語の「Honeys」だと思っていました。しかし、手元にある「別冊太陽 祭礼~神と人の饗宴~」というムックで、西原のユークイについてのの記事を読んでいると、はっとする記述に出会いました。
ナナムイの最年長集団をハーニパー(大姉姥)…
「ナナムイ」とはユークイの祭祀集団を指すのですが、その際年長組が「ハーニパー」というのだそう。 ハーニ…ハーニー…ズ? むむ、「ハーニーズ」って、方言かも!
おそらく、「ハーニ」の部分が( )書きで記された「大姉」だとおもうのですが、平良方言だと「大姉」はウポアニ(ウプアニ)[ʊpʊ ani]となるはずです。そしてたぶん実際の発音は、中央のʊ, a がくっついて「ウパーニ」[ʊpːni]のような感じになると思われます。
さて、ハ行子音が「p音」であることで有名な宮古方言ですが、池間系方言において共通語と同じ「h音」になります。そこで先ほどの「ウパーニ」[ʊpaːni]を当てはめると「ウハーニ」[ʊhaːni]となるはず。そして語頭の「ウ」が抜け落ちた([ʊhaːni]>[haːni])…とすれば「ハーニ」になる。
実はこのムックで西原の別の行事について書かれたページで「フジャラ(大皿)」
という後も出てきます。西原と伊良部が同系統の方言だとはいえ、同様の発音変化があるとすれば、
「大(おほ/ウフ)」は [ʊhʊ]>[haː]となる場合があると言えそうです(でもウタキの名前である「ウハルズ=(大主;おほあるじ)」は語頭の「ウ」は付いたままですが…)。
ハーニーズ佐良浜の皆さん、グループ名の意味は「大姉」+s(英語の複数形)、ということでよろししいでしょうかー?
ユークイの役割名
さて、ハーニーズの皆さんについてさらに。コンサートの告知には、メンバー5人のもと神役名が記載されています。曰く、「元 大司」「元 カカラ」「元 ナカンマ」。この役割名の意味するところの説明が、どこにもありません。
先述の「別冊太陽 祭礼~神と人の饗宴~」に載っている西原の神役名一覧にも当てはまりそうなものが見あたりません。佐良浜とは違うのか…。
しかしよく読んでみると、平良方言と池間系方言の発音の乖離だったり、カタカナ表記上のあやだったりで意味がつながりにくいのかも知れない、という気がしてきた。たとえば、「大司」は「ウプツカサ」だと私は思い込んでいたけれど、先ほどの「大姉」が「ハーニ」となることを考えれば、「フヅカサ」のような音になるはず。…そう思って見てみると、ありました「フジィカサ」の表記が。「ジィ」は中舌音[ɨ]を表現しようとしたものとすれば、正解かも。でも役割の説明は記載されていません(泣)。
では「ナカンマ」は何だろう。「ツカサ(司)」とか「ンマ(母)」とかはこの場合、祭祀を取り仕切る女性たちを指しますので「ナカ」=「中」で、「大」の下?中間管理職?とかと想像してしまいます。
そして、「カカラ」。もっと分かりません。沖縄本島でいう「ユタ」のことを平良辺りでは「カンカカリャ(神掛かり屋)」、宮古の他の地域では「ムヌス/モノス(物知り)」と言うのですが、この「カカリャ」と同じ意味かしら。…ま、まさか、神様が降りてくる担当?
あがい、語源について想像することしかできないもどかしさよ。実際はどんな役割かね…。
はい、タイムアップ。前の記事で寝ずに書くとか言っておいて数時間しっかり寝てしまいました。ダメだー、もう若くないなー。ユークイのことを書いただけで終わってしまった。
続きは今夜書きます。まだ「アヤゴ」のことも書き足りないし、狩俣のウヤガンのことも探ってない。ノートに下書きしたのもそのままではもったいないし。
では、また今夜に。
Motoca
note:
当ブログ上での表記について
「語源が解明されていない語には漢字を充当しない」というのが私の師の教えであります。音で漢字を充てることによって、尚更その語の元の発音や意味を解明しづらくする恐れがあるからです。これに従い、当ブログ上でも語源が判然としないものについては(すでに漢字が充当され、一般化したものであっても)かなで表記したいと思います。