2006年04月01日 00:20
こう言って、普通に話を続けようとしたところで、相手に笑われたことがある。
沖縄本島の高校に進学して間もない頃のこと。
若者宮古口しか知らないから、当然そのままの口調で喋っていた。
一瞬、何故笑われているか分からなかった。
呆気にとられていたら、こう言われた。
「宮古人、接続詞が長いよ~!」
考えてみたら、おかしな接続詞だ。
「それでね、」
と、4音だけ言ってしまえば順接で話が続くというのに、わざわざ「してからにがさぁ」、と7音、語尾をやや伸ばすので、モーラ(音拍数)にすると8。「それでね」の4モーラからすると、2倍の長さ。
そりゃ、笑われもする。
指摘されるまで、あまりにも当たり前で気がつかなかったけれど。
だって、方言の接続詞も長い。
子供の頃、おやつを食べている横ではいつも、おばあちゃん達が方言でおしゃべりをしていた。
そのとき、「あしばさいがゆ」という言葉がよく使われていたのを憶えている。
「あしばさいがゆ」で、それまでの話とあとの話が順接で繋げられていた…つまり、「してからにがさぁ」と同じような用法の、接続詞なのだ。
「あしばさいがゆ」と「してからにがさ」。
音数は同じ7音。そして、どちらも語尾をやや伸ばして、8モーラ(拍)となる。
品詞で区切るとそれぞれこうなる。
「して」「から」「に」までは、古語辞典からめぼしい意味を拾ってみたが。…おかしいよ、この接続詞。
接続詞に起点の語と帰着の語が付いている。これでもかっていうぐらいの強調。がっちり。
区切れ方はそれぞれ異なる。
方言を直訳したわけではなさそうだ。
では何故、「してからにがさ」という長い接続詞は生まれたのか。
以下は完全に私説である。
まず前提として、我々若い世代は、方言を知らないまでも、方言の影響を大きく受けた言葉で喋り方をしている。
宮古方言(宮古ふつ)は、くっきりとした4拍子であると思う。
無理矢理メロディーを当てはめるなら、8分音符でドレファレドレファレ…と、延々と繰り返されるような話し方をする。
その方言のリズムが根強く残っていて、話をするのもその拍子に会うように、
適当な音数の言葉が選ばれたり、アクセント(1音目)や語尾が伸ばされる。
その拍子に合わせるために、「それで」ではうまくリズムが合わなかったのだろう。文法よりも拍子(リズム)が求められた結果、同じ音数の接続詞が生まれたのではないか。
閑話休題。
そういえばあの頃、「だけれどもがさぁ」って言って笑われていた同胞もいた。
これも、「でもね、」と3音で済む接続詞。
「だけれども」までなら、標準語でもまれに使われるんだけれども。ああオヤジギャグ。すみません、もう寝ます。
※学研『全訳古語辞典』金田一春彦 編