「宮古島の神歌と古謡2010」 応援企画! #3
おはようございます。
昨日は東京もびっくりするぐらい気温が上がりました。私が上京してからすでに干支も一回りしていますが、記憶にある限り、ここが12月に24℃なんて初めてです。のぼせました。
そういえば、宮古でもこの時期、下がりかけていた気温が一気に上がり、夏が戻ってきたようになることがあります。例年、旧暦の10月頃(新暦だとだいたい11月~12月上旬)のことなので、これを「ジュウガツ ナツガマ [dʒuːgatsɨ natsɨgama](=十月夏がま)」というのだと、宮古にいた頃、祖母に教わりました。十月小夏。
さて、昨日の続きを書きます。昨晩には記事を上げたかったのですが、どうも遅くなってしまいました。すみません。
祖神祭(ウヤガン[ʊjagam̩]~ウヤーン[ʊjaːm̩])
宮古島の北部、狩俣と島尻の祭祀として有名です。現在は担い手がいなく途絶えてしまっていると聞きます。
昨日と同様、まずはこの祭祀は何ぞや、ということを『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社,1983)から引用します。
- ウヤガン〔祖神〕
- 宮古諸島の大神島、宮古島の狩俣・島尻両部落の3ヵ所で現在も行われる秘祭。大神島では旧暦6~10月、狩俣・島尻では大神島のウヤガンが終わった後の旧暦10~12月までの3ヵ月間に、5回にわたる夜籠もりを中心として行われる。(中略)いずれも12人のウヤガンという
神女 によって行われる。また日取りは*ピューズヌシュー(日取り主)が決める。(後略)…『沖縄大百科事典』pp.319~320, 沖縄タイムス社, 1983年
あっ、大神島もあったんだ。うわー、すみません。大神、狩俣、島尻の3集落ですね。
もうひとつ文献引用しましょう。
ウヤガン祭りは、祖神が現世に来訪し、ムラの豊穣と繁栄を予祝する祭りで、宮古の大神島、島尻、狩俣で行われている。
(中略)ウヤガンは原則非公開で、夜籠もりはもちろん、集落のお祓いも見てはいけないと言われている。参加者は女性のみで、男たち、家族の者にも一切秘密裏に行われる。…大城宏明「島尻のウヤガン(祖神)」,
「別冊太陽 祭礼~神と人との饗宴~」pp.120, 平凡社, 2006年
あと、狩俣では「ウヤーン」というそうです(おそらく、[ʊjagam̩] > [ʊjaʔam̩] > [ʊjaːm̩]という変化)。
私はこの祭りの存在を大人になってから初めて知ったのですが、非公開とは…そりゃ、他集落の子どもには知る由もありませんね。(その歌を今日、この東京で聴くんだ…)
それでは「ウヤガン」という言葉について見ていきたいと思います。
ウヤ(オヤ=祖)」+「カン(カム̩=神) = 「ウヤガン」
ほとんど「ウヤ」と表記されますが「オヤ(親)」のことです。宮古方言のオ段音が、共通語のオ段音と違いウ段音に近い発音をするため、「ウ」で書かれることが多いのですが、厳密にはウ段とオ段の対立はちゃんとあります(ウ[u]、オ[ʊ])。少なくとももう少し上の世代までは。ですので、ここでは、以下表記を「オヤ」とします。
さて、これまで見聞きしたことをまとめると、「オヤ[ʊja」という語はおもに次のような意味を持っています。
- 祖先
- その土地の支配者
- (士族語で)父親
それに、「カン[kam̩]」つまり「神」がついて「オヤガン」。連濁しています。
祖神、というと集落を作った神様、自分たちのルーツですから、「生みの親である神様」ということになるのだと思います。
ついでに、「神[kam̩]」の発音記号にもご注目ください。「ン」の音が[n̩]ではなく[m̩]ですね。
じつは、池間系をのぞくほとんどの宮古方言では、「ン」の音を[n̩]と[m̩]2種類、区別しています。
この場合、かなで書くと「カン」となるものは2種類あります。「神[kam̩]」と「蟹[kan̩]」です。便宜上[m̩]のほうは今後 /ム̩/ と表記します。
- 神: /カム̩/[kam̩] (< [kami])
- 蟹: /カン/[kan̩] (< [kani])
宮古方言の接続詞は、前につく語の語尾と影響を受けますので、後ろに助詞「は」とか「を」が付くともっとわかりやすい。以下をご覧ください。(しかし、神と蟹を並べて書くとなんだか怒られそうな気がしますね…)
- 神は[kam̩ma], 神を:[kam̩ mʊ]
- 蟹は[kan̩na], 蟹を:[kan̩ nʊ]
(しかし、神と蟹を並べて書くとなんだか怒られそうな気がしますね…)
あとは、海[yim̩]と犬[yin̩]も同様ですね。
ということで、「ウヤガン」を実際の発音に近づくように、なおかつ「ン」の発音の区別を盛り込んでカタカナ表記すると「オヤガム̩(祖神)となります。(…かけ離れたような気も、しなくはない。)
「ウヤガン」の語を解くのに結構長くなってしまいました。
フサ
コンサートのフライヤーによると、このウヤガンの中で唄われる「フサ」というものが披露されるとのこと。「フサ[f̩sa]」といえば方言で「草」のこと、年か思い浮かばない、私。またも文献に頼ります。
- ふさ(フサ)
- (前略)①宮古の歌謡ジャンル名。狩俣と島尻で神女が伝承している神歌。狩俣では「カンフサ(神草)」、または単に「フサ」、島尻では「スサ」という。語義については、フーニガイ(冬祭り・祖神祭)の時、山ごもりをする神女が草冠を被り祖神と化すが、これを象徴的にいったものか。(後略)
新里幸昭『宮古の歌謡付・宮古歌謡語辞典』p.329, 沖縄タイムス社, 2003年
そうか、本当に「草」なんですね。そして、歌のジャンル名。えええっ、ジャンル名!!
さて、ジャンルという話がでたので、同文献に記載の宮古の歌謡の分類表も引用してみます。
![]()
新里幸昭『宮古の歌謡付・宮古歌謡語辞典』p.24, 沖縄タイムス社, 2003年
原文は縦書き、横書き図はMotocaが作成。
ひゃ~、こんなにいっぱいあるんですね。私はアーグ、クイチャーアーグ、トーガニぐらいしか知りませんでした。この中でいわゆる「神歌」というのは「呪詞・呪禱的歌謡」という分類になるのでしょうか…。
カンナーギ(神名揚げ)
神歌の中に「カンナーギ アーグ(神名揚げ歌)」というのが出てきます。
カンは既出の通り「神」(/カム̩/[kam̩])、ナーギは「名挙げ(ナーギ)」で、名前を挙げてたたえる、称揚する。人に使うと「褒める」という意味もあるのだと習いました。
ユネーク
多良間からの古謡の紹介にありました、「ユネーク」。困ったことに、情報がほとんどありません。
上に引用した分類一覧にも見あたりませんし、ネットを調べても検索結果に出てくるのは「宮古の神歌と古謡(今日のと、去年の7月に行われた同コンサート)」の関連情報だけ。フライヤー、案内サイトで使われている文言がすべてです。
それにも「叙事詩を元にした労働歌」と書かれるばかりで、それ以上のことは何もわかりません。。
「叙事詩」を国語辞典で引くと「歴史的事件、英雄の事跡、神話などを題材に、民族または国民共同の意識を仮託した長大な韻文」
(goo辞書)
とあります。歴史上の英雄の伝記、史実、伝説などの内容でだということでしょうか。また「労働歌」ですから、農作業や家事などをしながら歌っていた歌、ということでしょうか。(「叙事詩」と見て、アイヌのユーカラ
を思い浮かべました。宮古から遙か遠いところの文化ですが。)
ユネーク…なんだろう。音からちょっと考えてみます。(多良間に知り合いがいないため、新里教室で習った範囲でしか多良間方言のことは分かりませんが)
宮古方言では前の記事で述べたとおり、歌謡のことを「アヤグ(アヤゴ;[ajagʊ])」または「(アーゴ;[aːgʊ])」といいますが、多良間方言では「エーグ(エーゴ;[ɛːgʊ])」となります。
ということは、ユネークの発音を宮古風に直すと「ユナーク(*[junaːku] または *[jʊnaːkʊ])」となるのだろうか?
では、これが何かしらの複合語だと仮定して、失敗を恐れずに分解を試みてみましょう(間違っていたらごめんなさい!誰か教えて~!)。
*[jʊnaːkʊ] < *[jʊnʊ aːkʊ] < [jʊnʊ aːgʊ] < [jʊː nʊ aːgʊ] ??
ということで、Motoca説、いやMotoca「案」(としておきましょう)です。
「世のアヤグ([jʊː nʊ aːgʊ])」、というのはどうでしょう。
本当に思いつきですので、間違っていたらごめんなさい。さっぱり自信がないのですが…。
「ユー(ヨー)[jʊː]」には「世の中」「現世」そして「時代」という意味があります。これはたしか沖縄全体で共通ですね。有名な「唐の世から大和の世 大和の世からアメリカ世 アメリカ世からまた大和 ひるまさ変わたるこのウチナー」という歌に出てくる「世=ユー」です。
叙事詩ですから、「その時代の歌」と言う意味で「世のアヤグ」案です。
鵜呑みにしないでくださいね、恐る恐る案ですので。会場で意味を教わることができると良いのですが(谷川先生の講演に期待)。
そろそろリミットですね。書くのはこの辺にします。夕方からのコンサートで幾つ答え合わせができるか、楽しみです。(いや、その前に音楽自体も楽しもうと思います、もちろん。)
参考文献一覧は後で書き足します(前回の記事も含めて)。ああ…。
note:
前回の記事の末尾に「語源の特定されていない方言については充て字をしない」と書きましたが、一つ付け加えると、意味の判明している語に対しては元の意味が明確に分かるような表記が望まれます。耳で聞こえる発音だけを頼りに、説明のないカタカナ表記にしてしまうと、宮古方言が日本語とかけ離れた言語のように見えてしまう。
宮古口のオヤ(祖先)が日本古語であるということは、どの研究者も言っているわけですから、やはりそのことが明確に分かるようになっているのが望ましい訳です。
新里先生方式の表記を早く覚えなければ…。
「宮古島の神歌と古謡2010」 応援企画! #2
前記事にも書きましたとおり、「宮古島の神歌と古謡2010」応援企画として、案内サイト、フライヤー、関連サイトなどに出てくる方言や歌の名前について、意味や語源を探ってみようと思います。
歌謡(アヤゴ、またはアーゴ)
アヤグ、とも書かれます。「綾語」「綾言」などと漢字が充てられることもありますが、語源ははっきりしません。宮古方言で「歌」という単語に置き換わって使われます。方言の語彙には「歌」という名詞も「歌う」という動詞もありません。「アヤゴを言う」または「アヤゴする」という表現が「歌を歌う」に相当します
うーん、先に下のユークイのことを書いていたら時間が無くなってしまいました。これの続きは今夜書こうと思います。
ユークイ[juːkui]について
まずは、「ユークイ」とはなんぞや? ということから。沖縄タイムス社刊「沖縄大百科事典」(1993)から引用します。
- ユークイ
- 宮古本島の北部一帯やその周辺の離島でおこなわれている豊年祈願の祭祀。 ユーは豊穣、クイは乞うの意。したがって豊穣を招き寄せることを目的とする祭祀である。
池間系(池間島、平良西原、伊良部島の佐良浜)の行事として有名ですが、他の各集落でも行われています。豊穣祈願なので、ひ農業地帯のうちの周辺にはありませんでした。
さて、この「ユークイ」とは、沖縄大百科事典の記載するとおり「ユー」が「豊穣」、「クイ」が「乞う」とされています。
「ユー[juː]」は、このほかの場面で使われるときは、豊かさ、幸運さみたいなものも意味もあります。「ユームツ[juː m̩tʃɨ]」=「ユーを持つ」という言葉もあって、生まれたばかりの赤ちゃんに「ユームツ フファ[juː m̩tʃɨ f̩fa]」ユーを持つ子供、つまり「めでたいもの、いいものを運んできた(持って生まれてきた)子ども」、というような表現をします。
「クイ[kui]」は動詞「乞ふ(/クー/ [kuː]」連用形の名詞化ですね。
「ハーニーズ」って…
さて、出演者「ハーニーズ佐良浜」は、佐良浜の元神役のおばさま達、5人組。グループ名「ハーニーズ」は、ずっと英語の「Honeys」だと思っていました。しかし、手元にある「別冊太陽 祭礼~神と人の饗宴~」というムックで、西原のユークイについてのの記事を読んでいると、はっとする記述に出会いました。
ナナムイの最年長集団をハーニパー(大姉姥)…
「ナナムイ」とはユークイの祭祀集団を指すのですが、その際年長組が「ハーニパー」というのだそう。 ハーニ…ハーニー…ズ? むむ、「ハーニーズ」って、方言かも!
おそらく、「ハーニ」の部分が( )書きで記された「大姉」だとおもうのですが、平良方言だと「大姉」はウポアニ(ウプアニ)[ʊpʊ ani]となるはずです。そしてたぶん実際の発音は、中央のʊ, a がくっついて「ウパーニ」[ʊpːni]のような感じになると思われます。
さて、ハ行子音が「p音」であることで有名な宮古方言ですが、池間系方言において共通語と同じ「h音」になります。そこで先ほどの「ウパーニ」[ʊpaːni]を当てはめると「ウハーニ」[ʊhaːni]となるはず。そして語頭の「ウ」が抜け落ちた([ʊhaːni]>[haːni])…とすれば「ハーニ」になる。
実はこのムックで西原の別の行事について書かれたページで「フジャラ(大皿)」
という後も出てきます。西原と伊良部が同系統の方言だとはいえ、同様の発音変化があるとすれば、
「大(おほ/ウフ)」は [ʊhʊ]>[haː]となる場合があると言えそうです(でもウタキの名前である「ウハルズ=(大主;おほあるじ)」は語頭の「ウ」は付いたままですが…)。
ハーニーズ佐良浜の皆さん、グループ名の意味は「大姉」+s(英語の複数形)、ということでよろししいでしょうかー?
ユークイの役割名
さて、ハーニーズの皆さんについてさらに。コンサートの告知には、メンバー5人のもと神役名が記載されています。曰く、「元 大司」「元 カカラ」「元 ナカンマ」。この役割名の意味するところの説明が、どこにもありません。
先述の「別冊太陽 祭礼~神と人の饗宴~」に載っている西原の神役名一覧にも当てはまりそうなものが見あたりません。佐良浜とは違うのか…。
しかしよく読んでみると、平良方言と池間系方言の発音の乖離だったり、カタカナ表記上のあやだったりで意味がつながりにくいのかも知れない、という気がしてきた。たとえば、「大司」は「ウプツカサ」だと私は思い込んでいたけれど、先ほどの「大姉」が「ハーニ」となることを考えれば、「フヅカサ」のような音になるはず。…そう思って見てみると、ありました「フジィカサ」の表記が。「ジィ」は中舌音[ɨ]を表現しようとしたものとすれば、正解かも。でも役割の説明は記載されていません(泣)。
では「ナカンマ」は何だろう。「ツカサ(司)」とか「ンマ(母)」とかはこの場合、祭祀を取り仕切る女性たちを指しますので「ナカ」=「中」で、「大」の下?中間管理職?とかと想像してしまいます。
そして、「カカラ」。もっと分かりません。沖縄本島でいう「ユタ」のことを平良辺りでは「カンカカリャ(神掛かり屋)」、宮古の他の地域では「ムヌス/モノス(物知り)」と言うのですが、この「カカリャ」と同じ意味かしら。…ま、まさか、神様が降りてくる担当?
あがい、語源について想像することしかできないもどかしさよ。実際はどんな役割かね…。
はい、タイムアップ。前の記事で寝ずに書くとか言っておいて数時間しっかり寝てしまいました。ダメだー、もう若くないなー。ユークイのことを書いただけで終わってしまった。
続きは今夜書きます。まだ「アヤゴ」のことも書き足りないし、狩俣のウヤガンのことも探ってない。ノートに下書きしたのもそのままではもったいないし。
では、また今夜に。
Motoca
note:
当ブログ上での表記について
「語源が解明されていない語には漢字を充当しない」というのが私の師の教えであります。音で漢字を充てることによって、尚更その語の元の発音や意味を解明しづらくする恐れがあるからです。これに従い、当ブログ上でも語源が判然としないものについては(すでに漢字が充当され、一般化したものであっても)かなで表記したいと思います。
「宮古島の神歌と古謡2010」 応援企画! #1
気がつくと1年もあまりブログを放置しておりました。記事を書く度「久しぶり」と書いている気がしますが、ほんっとみなさま、お久しゅうございます。大変長らくご無沙汰いたしました。
さて、久しぶりに記事を書いたのは、タイトルの通り。今週土曜日(12月4日)に法政大学市ヶ谷キャンパス薩埵ホールで開催される「宮古島の神歌と古謡2010」を応援してみよう! との ばー(という 意図)です。
イベントの詳細は以下の案内ページをご覧ください。
http://mameromantic.com/?p=5644
(晴れたら空に豆まいてイベント告知ページ)
これを聴きに行きます。しかし、ただ聴くだけではなんだか申し訳ないし、自分にとってももったいないので、事前にちょっとでも考えたり調べたり書いたりしよう、と思った次第です。で、勢いづけて「応援企画!」と銘打ってみました。
ただ聴くだけでは
もったいないし、申し訳ない
まずはちょっと、私がこのコンサートに対して構える理由について書きましょうか。
平私が生まれ育った平良の街(特に下里)というのは一種、東京みたいなもので、宮古の各地域の出身者が寄り集まって住んでいます。そのためか、生まれ育ったその地域に対して「集落意識」というものを持っていません。当然そういった場所ですから、古くからの伝統行事というものに触れる機会はほとんど無く、せいぜい各家庭で旧暦の行事を行う程度でした。また、家柄なのか、うちでは民謡もほとんど聴きませんでした。
一方、集落の区分がしっかりしているところは、地域の人同士の結びつきが親密で、伝統的な祭祀・神行事もさかんです。そういった場所では民謡や方言の保存率も高い(若い世代でも比較的よく知っている)ように感じます。
私には縁のなかった伝統行事ですが、あちらこちらの集落で、細々となりながら、今も継承され続けています。もちろん、集落外の人間である私には、それらに参加することも、ましてや受け継ぐこともできません。
そんな行事が行われたというニュースを見聞きするたび、羨ましいなぁ、といつも思っています。伝統行事は私にとって憧れであり、将来までも是非、絶やさず続けていって欲しいと思います。
しかし実際は、そういった集落でも祭祀の存続が危ぶまれている状態とのこと。時代が変わり、人と人との関係が変わり、ライフスタイルが変わり、外部からの人の出入りも多くなり…。過去100年ちょっとの環境の変化を考えるだけでも、昔と続けていくことが大変な困難であろうということは、想像に難くありません。
そんな状況下にあっても、どうにか守っていきたいと思う方があり、それをどうにか継承したいと強く思ってくださる方がいます。
神行事の時にしか歌われない歌、ウタキの中でしか歌われなかった歌。本来集落外不出だったも、今回のコンサートでは持ち出されてくることになります。出演者の皆さんの覚悟は、どれほどのものでしょうか。聴く側となる私たちも彼女たちの覚悟を受け止めなければなりません。
どうやったら受け継げるのか、私たちは何を手伝えるのか。
答えは出せませんが、それでも、ただフラっと見にゆくだけでは、あまりにも申し訳ない気がします。そこで、自分なりの予習をしてみることにしました。
…と、半月ほど前に思い立ったのですが、あれやこれやとバタバタしているうちに、当日が目前に迫ってきてしまいました。あがいー、もう明後日(日付上は明日)さいが。ダイズ(大変だ)!
ぎりぎりですが、書けるだけ書きます。
ふー!中学時代の定期テスト前夜の一夜漬けの気分です。時間がないのでこのまま起きて続けて記事を書こうと思います。会社の仕事は…金曜日一日分ぐらいは気力で持たせてやります。あららがま!(発奮の声)
私は、民俗学・歴史学方面はよく分かりませんので、次の記事では、今手を付けている方言の方面から予習してみようと思います。案内文や紹介記事・関連記事に出てきた方言や歌の名前について、方言の意味や語源を探ってみようと思います。もう、思いついた順に書きます。
P.S.
なお、このイベントの公式ツイッター(@miyakojima_2010)で、私のこのブログ記事もいくつか引用してくださっています。恐れ入ります、ありがとうございます。
このイベントのための説明に、私の書いた文章が一端にでも役に立てたのかと思うと、光栄です。
また、私の書いた記事を見つけてくれる人がいるんだなぁ、読んでくれる人がいるんだなぁ、と思うと、こんなに長いことブログを放置してしまったことに対し、申し訳なさでいっぱいです。
私の気まぐれ&面倒くさがりな性格(典型的O型)ゆえ、今後もこまめに記事を更新するとは思えませんが、反省して、続ける努力はしようと思います。
Motoca.
ながちび台風
大変おひさしゅうございます。現在夏休みで宮古に帰省中のMotocaでございます。
帰省して3日目ですが、宮古はずっと、風が強いです。昨日までは、地面にたたきつけるような強い雨が、急に降ったり止んだりしていました。雷もあったかな。今日やっと太陽が出ましたよ。
それにしても、ここが台風8号の暴風域だったのは、4日前までだったはずなのに、天候の回復が遅いこと。
「ながちび台風だねぇ」
とは、うちの親の言。
直訳すると「長尻台風」、お尻が長い台風です。
台風の影響(天候)がいつまでも残っている、ってこと。
この「ながちび」っていう言葉、親戚や知人の家を訪ねたときに、おしゃべりなんかして長い時間居座ってしまったら、帰りぎわに
「ながちびして、ごめんねぇ〜」
って、いうふうに使うものです。長時間居座って(長居して)ごめんね、お邪魔しました、って。
そんな普段の生活の中にある言葉をつかって、台風までも擬人化されてしまう。
宮古方言の、こういう表現センスが好きです。
ちなみに、雨が多い台風は「あめ台風」、雨はほとんど降らないのに強風ばかり吹くのは「かぜ台風」って言います。いま西日本に被害をもたらしている台風9号は、あめ台風ですね。暴風域はないのに降雨量がものすごい。
昨夜の本州の広い範囲で揺れを起こした地震が、ゆるんだ地盤に悪影響を与えていなければいいのだけれど。
「夕(ゆふ)さる」と「ユサラビ」
「夕方」を表す方言「ユサラビ」と、古い和歌で見たことのある「夕さらば」/「夕されば」という言葉の関係を知りたい。
時間のかかることはしばらくしないでおこうと思ったのに、はまった。調べちゃった。夜更かしして。でも結論が出せずに数日放置しました。なおかつ、強引な結論をご用意いたしました。
これでいいのか、私。…でも掲載しちゃう。
「夕(ゆふ)されば…」
「ゆふされば」で始まる和歌をいくつか見たのは覚えているんだけど…けど、余りメモは取らない私。
古語辞典を引いてみたら「夕(ゆふ)さる」という動詞があった。自動詞、ラ行四段活用。意味は「夕方になる。日暮れになる」。「夕+さる」という複合語らしい。こんな解説が載っていた。
名詞「ゆふ」に移動してくるという意味の「さる」がついて一語化したもの。已然形「ゆふされ」に接続助詞「ば」がついて「ゆふされば」の形で用いられることが多い。
「さる」は、漢字で書くと「去る」。古語辞典には「(季節や時刻を表す語について)来る。なる。」と説明があります。「去る」というと現代語では遠ざかるイメージしかないのにね、ぴんなむぬ(変なの!)
古語辞典に例文として出てきた和歌もご紹介しましょう。「され」は「さる(去る)」の已然形。接続助詞「「ば」」が動詞の已然形のあとに付く場合は、といった確定条件、つまり「~なので」「~だから」という意味になります。また、恒常条件「~戸決まって」「~ときはいつも」というような意味もあります。
- 夕されば 門田の稲葉 おとづれて 蘆のまろ屋に 秋風の吹く
(源経信・百人一首 071)- 夕されば 野にも山にも 立つけぶり なげきよりこそ 燃えまさりけれ
(菅原道真・大鏡)- 夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり 深草の里
(藤原俊成・千載集 259)- 夕されば 小倉の中に 鳴く鹿は 今宵は鳴かず 寝(い)ねにけらしも
(雄略天皇・万葉集 巻八 1511)
ですので、この「夕されば」は、「夕方なので」とか「夕方になると(いつも)」というような意味合いになるのでしょう。
一方、大伴家持の歌には「夕されば」ではなく「夕さらば」(未然形+「ば」)で始まる歌がありました。
夕さらば 屋戸開け設(ま)けて 吾待たむ 夢に相見(あひ み)に 来むと云ふ人を
(大伴家持・万葉集 巻四 0744)
未然形に接続助詞「ば」が付く場合は、仮定条件を表します。こちらは「夕方になったなら」という意味になるでしょうか。
「夕方になったら、家の戸を開けて僕は待っていよう。夢で会いに来ると言う人を。
ふふふ。大伴家持、ロマンチストです。大好きです。2年ちかく前に本を一冊読んだっきりで、全然詳しくないのですが。…:なんだか私、、予備校の先生みたいだ。
「ユサラビ」の語形
「夕されば」/「夕さらば」の語形が分かったところで、宮古口の「ユサラビ」に戻ります。
古語「夕さる」は動詞ですが、この方言の「ユサラビ」は名詞です。「夕さる」の語幹(活用しても変わらない部分)である「夕(ゆふ)・さ-」と、「ユサ」の部分は共通だと思います。「ゆふさ」から「ゆーさ」という伸ばし音になり、さらに伸ばしの部分が時代とともに省略され「ユサ」となったのでしょう。
「夕さら-」=「ユサラ-」となる活用形は、未然形。となると、「ユサラビ」の最後の「ビ」は、動詞の未然形に接続する助詞か助動詞がくる、と想像できます。
その助詞か助動詞を探すにあたり、まずは「ビ」の元の音を考えてみます。
「ビ[bi]」は、中舌音でなくイ段音ですので、対応関係から、共通語ではエ段音に当たると思われます。そうなると「ベ[be]」が考えられます。それから、バ行音とマ行音が交換しやすい(ex. 寒い:さむい-さぶい)ので「メ[me]」であるという可能性もあります。
その辺りに目星を付けて、辞書で助詞・助動詞を探します。すると、助動詞「ふ」というものが見つかりました。辞書によると「状態の継続を表す」作用があり、「四段動詞の未然形に付く」とのこと。いけそう。
では、「ゆふさら-(未然形)」+助動詞「ふ」で、「夕さらふ」という動詞があると仮定しましょう。
動詞の連体形が、名詞として使われることがあります。たとえば、(動)思う-> (名)思い、(動)笑う-> (名)笑い、というような感じで。
助動詞「ふ」の連体形は、「ふ」。名詞化しても「夕さらふ」>「ユサラフ」。あれ?
では、後ろにさらに接尾語を付けてみよう。
「べ(辺り)」という接尾語があります。辞書によると「~の辺り」「~のころ」という意味です。「夕べ(ユウべ)」の「べ」もこれです。
そこで、「夕さらふ」にもこれを付けて、「夕さらふ辺(ユーサラウベ)」 > ユサラビ、とするのは…ちょっと強引かしら。
…えー、そのうち、もっといい案が思い浮かぶことを、自分で自分に期待します。こりゃ駄目だわ。いつかまた挑戦しようと思います(どなたか真実を知っていたら教えてくださーいっ)。



